月夜はため息をつくと式神に自動販売機の温かいお茶を買わせに行かせると鎮守の森に
入った。なぜか少年がついてきているが別にいいと思い、買わせたお茶で龍笛を温めて指
鳴らしに一曲吹いた。
 冷たい音色があたりに響いた。ザワリと鎮守の杜の空気が動いて何かが集う気がした。
少年は黙って笛を吹いている月夜を見た。このとき、初めて術者は恐ろしいと思った。笛
の音一つで空気やその他何かを支配するのだ。
「どうした?」
 月夜は固まって動かない少年を見て首をかしげた。辺りを見れば狐が自分を中心に何十
匹もいた。これが霊寄せかと自分のなした業に感心して狐に話し掛けた。そうすると狐は
自分たちを巻き込んで歩き始めた。
「な、なに?」
 さすが神主の息子だなと思った。足に触れる質感のないひんやりとした物を感じたのか
と思い彼にも見えるように術をかけた。
「な、ええ?」
「おきつね様の使いだろう。蒼華もいるからお出ましになられるんじゃないかな?」
 引き攣った声の少年に聞かせると鎮守の森にあった一つの小汚い祠に行き着いた。
「こりゃあ駄目だろ。ちゃんと掃除しないと。持ち合わせているのはこれしかないがしょ
うがないか」
 浄化の塩を撒くと式神に米を取りに行かせて祠に捧げた。
「稲荷大神は豊穣の神だろ? だから、米を供えるんだ。祠があるならば年に二度それぞ
れの大祓えのときに浄化しないと神はいなくなるぞ」
 そう言うと一つ笛を吹いて鎮守の杜から出た。出たときに白粉を塗り紅を差した夕香が
こちらを見てぽかんとしていた。
「すこし、祠に行って挨拶しに行っていた。それだけだ」
「え、あ。あんただったの?」
 やっと言うと夕香は近寄ってしげしげと顔を見つめる。どこからどう見ても高めの女だ。
漆黒の髪を白妙の衣の後ろで括りもとの顔立ちである切れ長の漆黒の瞳に白い肌、頬にか
かる微かに短い髪に光の加減でいろいろな色に見える濡れたような紅い唇。男とは思えな
いそれは妖艶なとしか形容できないものだった。
「綺麗ね」
 お母さん似なのかなと漏らしながら純和風の美女になっている月夜を見た。夕香の手に
は狐の仮面がある。
「それしなくていいのか?」
「だって暑苦しいんだもん」
 おいおいと心の中でもらしてその手からお面を奪って夕香にかぶせた。胡桃色の髪は高
く結い上げ白い項が現れている。結い上げた髪に邪魔にならないようにお面の紐を結び軽
く頭を小突いた。
「暑苦しいとかじゃないだろ。学校の連中に見つかったら終わるぞ?」
「あんたがでしょ?」
「三馬鹿は別にいいんだよ。その他大勢いるだろ? それに見つかったら……」
 任務の事ばれるから黙ってやってろと耳打ちした。その言葉に頷いて巫女服の袴を捌い
た。
「とりあえず時間まで敷地の中を歩き回ってますから。時間になったらこれに」
 そう言うとひとつの札を少年に渡した。そして月夜は夕香を引き摺って参道を散歩し始
めた。
「引き摺んないでよ」
「悪かったな」
 引き摺って乱れた襟元を正してやると袂から貝殻を取り出して紅を塗りなおした。紅差
し指と呼ばれるほっそりと白い薬指で紅を塗りなおしているその姿がとても様になってい
る。それは母親似の純和風の美貌を受け継いだからだろう。横顔を眺めると睫毛の下数ミ
リの所に小さなほくろがあった。
「なんだ?」
「なんかすごく目の近くにほくろあるなって」
「ああ、これか」
 中指でほくろがあるあたりを撫でて肩を竦めた。父親も同じ所にほくろがあるんだと呟
いて視界にかすった三つの影の正体を見破った。
「三馬鹿来たぞ」
 小さく囁くと夕香の手を引いて人込みを掻き分けナンパしようと近づいてくる三つの影
から逃げた。
 そして突き当たりに来た。ここまで来たら誰にも話を聞かれないだろう。そう思って足
をとめた。
「なに逃げてるんですか?」
 茶髪に染めた顔だけはいい一人、栄治はそう言った。他二人は止めようよといいたげな
顔をして栄治を見ていた。
「暇でいいもんだな、お前らも」
 呆れた顔をして言うと狐に抓まれたような顔をして辺りを見回した。月夜はあきれつつ
栄治の顔の前に手を振った。
「お前、月夜か?」
「ああ。巫女ナンパしようとするなんて」
「何、女装してんだ、気色悪いぞ」
 女を必死にストーカーしていたお前も十分気色悪いと言い、深くため息をついた。
「仕事だよ。仕事」
「ちょ、藺藤」
「姐さん?」
 驚いているのが四人、冷静に状況判断しているのが一人と分かれた。そして冷静に状況
判断していた月夜はため息をついた。
「とりあえず、この三馬鹿に任務や俺の力について説明してあるんだ。いつ巻き込まれる
か分からないからな、納得したか? 日向」
 夕香はしばらく考えた後に頷いた。そして今度はこの三馬鹿かと溜め息をついた。
「これは、日向だ。まあ、顔は見せらんないが」
「任務の秘匿?」
 三馬鹿の中で一番頭がいい和弥が聞いてきた。月夜はうなずくと日向は同業者だと言っ
て反応を待った。
「という事は、今日仕事という事は」
「そう、夜神楽を舞う。日向が今年の舞姫だ」
「迂闊にナンパできないな」
 その言葉に夕香が素早く反応した。栄治の頭を引っ叩き、片腕を捩じ上げ耳元でいい加
減しなさいよと低い声で言った。栄治は顔を強張らせて何度も頷いた。
「でも、藺藤。なんで、お前がこんな?」
「ここの伝統だろ? 知らないよ。ナンパ防止じゃないのか?」
 冗談半分で言うと栄治が目に見えて沈んだ。その姿を和弥と達哉は深く溜め息をついた。
「とりあえず、この馬鹿が暴走しないように見ててくれ」
 姿と口調が一致していない月夜に言われた二人は一つ頷くと沈んだ栄治を人ごみの中に
連れ去った。
「無駄話してるうちに時間が来たようだ。いくぞ」
 視線で示されたそこには鳥形の式神がいた。それを捕まえると社殿へ向かった。



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